くちなし
〇久
事件の解決から一ヶ月が過ぎた。
けれど、今日も憲実は要に梔を届けている。
8月に入れば、梔の花は遅咲きの八重でさえも姿を消すので、今憲実が持つのは梔の花、ではなく、梔の枝、が正解だ。
早朝、憲実はいつものように要の住む下宿の前に枝をもって現れる。
夏の日差しは明るく、清清しい空気の中にも緑の匂いが流れてくる。
今日も暑くなりそうだった。
下宿の前に、誰かが立っていた。
近づくと、寝巻きの上に着物を羽織った要だということが知れる。
また、あのような無防備な格好で。
憲実は急いで要に近づいた。
「おはようございます憲実さん。」
要は悪びれず、綺麗な笑みを憲実に返した。
「ああ。どうした。」
学校に行けばいくらでも会えるというのに、わざわざこの早朝、憲実を待っているということは、何か意義があるのだろう。
「お話があるんです。ちょっと中へ入っていただけませんか?」
案の定、要が憲実を促す。
憲実は無言で頷いて、要の後について下宿へ入った。
質素ながらも本の類の多い要の部屋。
月村の遺言に従い譲渡された本の山は、嫌でも元の持ち主を思い出させる。
本の山と同じくらい目に付くのが、花瓶の類とその中の梔の枝。
ちゃんとした花瓶も、そこここにあるありきたりな瓶も、全てに梔の枝が活けられている。
それは憲実が約束に従って、毎日届けたもの。
部屋全体に梔の香りが漂っている。
すでに花は終わっているのに、だ。
それはもしかしたら、本や服や家具や、そういったものにすでに香りが染みついているのやもしれなかった。
月村を思わせる本の山と、憲実を思わせる梔の枝。
それに囲まれて暮らす要の気持ちを推し量ることは出来ない。
嫌うことなど出来ないと要は泣いた。
無理に忘れさせられることでも無い。
憲実に出来るのは、ただ、梔の花を届けることだけ。
要が月村と過ごしてきた年月以上に、自分達の日々を重ね、想いを積み上げてゆくことだけ。
それがいつか、要の彼への想いを、消さないまでも、ひっそりとしたものに変えると信じて。
本の隙間、小さな空間に憲実を座らせて、要もその辺りを片付けて座る。
「あの・・・これはちょっと言い難い事なのですが・・・」
一度要は目を伏せて、そして何か決心したように憲実を見つめた。
「このままでは、近所の梔の木は、丸坊主になってしまいます。
憲実さんの気持ちはちゃんと届いていますから、その・・・
僕に届けるために枝を折るのは、止めていただけませんか?」
「・・・」
「いえあの。決して迷惑だとか、そういうんじゃなくて。
梔だって必死に生きてるんだから、下手に枝を折ったりすると来年が大変というか。
あの時は花と、添えられた憲実さんの想いに支えられてましたが、もう僕は大丈夫ですし、それにっ。」
慌てて矢継ぎ早に言葉を紡ぐ要。
「もっと素敵なものを憲実さんに頂きましたから。大丈夫なんです。」
要は暖かな微笑みを浮かべる。
「かえって気を煩わせてしまったな。すまん。」
憲実は頭を下げた。
己の勝手な約束で、梔を押し付けてはいたけれど。自然を、花を愛する要にとっては、毎日梔の枝が手折られてゆく様が身に痛いのだということに気づかなかった。
「いえ、それはだから、謝られることじゃなくて。」
あの時は本当に嬉しかったのだし、と要は続けた。
「だが俺はこれから、どうしたらいい?」
約束を護っている証拠に梔の枝を届ける。それは憲実が自分に課した枷。
枝が届かなくなったら、曾祖母の懐剣で刺して良い。それも本当の気持ちだ。
「え・・・」
要はしばらく腕を組んで考え込んだ。
開かれた窓から、気持ちの良い風が吹き込んだ。
やがて、要の顔が紅く変る。
「?」
その要の変化に憲実は戸惑う。
「あの・・・ですね。僕は梔よりもっと素敵なものを・・・憲実さんのその・・・好意を頂きました。
梔が口無しの地口だというなら・・・」
要は憲実に近づいて、唇を唇で塞いだ。
「梔の代わりになりませんか?」
口で口を塞ぐ。確かに口無しには違いない。
しかし、その行為に憲実の頬も紅く染まる。
「あ・・ああ。そ・そうだな。」
上手い言葉が出てこない。
「二人きりの時に、憲実さんから口無しを現してくれなかったら・・・そしたら僕は約束が破られたんだと思うことにします。」
要の頬は、まだ紅い。
憲実は要を抱きしめた。
「約束する。必ず。」
戸惑った風に下に降りていた要の手が、静かに憲実の背中に回される。
「はい。」
お互いの心音がお互いの体に伝わってゆく。
少し速く、大きく。
それは、何時の間にか同調していて。
体から愛おしさが溢れてくる。約束が違えられることなど考えもつかない。
ゆっくりと体を離して、二人は見詰め合い・・・
そして、最初の、長い誓いの口付けが交わされる。
終わってるらしい(苦笑)(2003.0515)
姑息に改定(2003.0601)
おまけで続き作りました。口無し(要視点)
ああ。そのまま終わらせとけばいいのにどうしても突っ込みがっ!
どもるなっ。恥ずかしがるなっ。いい大人が頬染めるなっ。
書いてるこっちが恥ずかしいんじゃいっ!!
いっそ背景はピンクにして・・・そして、手直しの際に、探してきた梔子の壁紙に。
ごめんなさい。砂吐きました。
そしてさらにごめんなさい。事件後も梔を届け続けるというのは、EDからして明らかだと思うのですが、
丸坊主な梔が不憫で、うちとこの憲実はお届けを一旦停止、ということにしておいて下さい。