螺旋の関係<4>


「なんだか寂しくなっちゃいましたね。」
 水川が眠り、火浦、木下が帰ってしまえば、残るのは月村、要、金子、憲実の4人。
 しかも、月村と憲実は自分から話を切り出すほうでは無い。
「いっそ、お開きにしたほうが良かったんじゃないか?」
 金子が白和えを箸でつついている。
 少し前までは、場を盛り上げるような話題を進んで提供していたくせに、今は傍観の体制だ。
「でも、まだ料理もお酒も沢山残ってるじゃないですか。
 このまま帰ったら、これみんな捨てられてしまうんですよ?」
 実家からある程度の財産を奪い取り、さらに月村の養子になり、金銭的にはもう苦労していないはずの要だが、やはりどこか庶民派な意見が出てしまう。
 むろん、大所帯な憲実も、食べ物を残すなどとんでもないという教育を受けてきている。
 憲実は要の意見に深く頷いて、手前にあるまぐろの刺身を、添えてあるツマと一緒に口に入れた。
 大根の食感が良い。腕の良い板前が作っているのだろう。

 憲実の食べっぷりを見て、要が微笑んだ。そして、手招きする。
「憲実さん、こちらの料理もいかがですか?」
 見れば、卓の向こう側、月村と要の座ってる辺りの料理はほとんど減っていない。
 月村は酒を中心に嗜むようだったし、要は要で話や酌に忙しかったようだったから、無理も無い。
 憲実が席を立つと、月村と要の間に招かれた。
 どうにも居心地が悪い。
 憲実は下手にその思いが顔に出る前に、と、ひたすら目の前の料理を減らすことに没頭することにした。
 ピーマンのジャコ炒め、厚揚げとチーズを焼いた物、カニのかまぼこを巻いてあるキャベツの煮込み。目に付くものは全て口に運ぶ。
 要が楽しそうに憲実を見つめるのは判らないでも無いが、月村までが目を細めて憲実を見つめている気配がするのはどういうことだろう。

「凄いですね憲実さん。」
「別に。普段もあれば、これくらいは食う。」
 憲実が本気で食事をすると、米を何升炊いても足りない、とは母の言葉だ。
 寮においては食事の量がある程度決められているから、本気を出さないだけで。
 憲実は水代わりに升の酒を飲む。
 辛口吟醸のさっぱりとした喉越しが気持ち良い。
「ふふ。」
 要は楽しそうだ。
 空になった憲実の升に酒を注ごうと一升瓶を持ち上げて、要は驚く。
「え。憲実さん。もう一升飲み切ってしまったんですか?」
 そういえば、乾杯してからこちら、注がれるままにあおっていたから、いつのまにかそれくらい飲んでいたとしてもおかしくない。
 従兄弟につれて行かれて飲んだ時以来、何故か憲実は酔わない体質に変ってしまったから、一升空けた今も、意識ははっきりしている。

「どうします? もう一升頼みますか?」
「いや、いい。大分飲んだし。」
 もう一升空ける時間も無いだろう。
「そうですか? それじゃぁ・・・」
 要は辺りを見回した。
 要が飲んでいるのは赤ワイン。少しづつだが確実にその中身は減っていて、憲実に注ぐのも躊躇われる。
 どうしようかと要が戸惑ってる間に、憲実の前にグラスが一つ置かれた。
 見れば、月村がグラスに透明な酒を注いでいる。
「ウォッカですよ。
 ウォッカは連続蒸留機で85〜95度までアルコール度数が上げられているので、原料による味の差が少ないですし、
 白樺の活性炭で数回濾過されて匂いも刺激も押さえられています。日本酒の後でも飲みやすいですよ。
 出荷時に40度ほどにアルコール度数は押さえられていますが、まぁ、要君は止めておいたほうがいいでしょうね。」
 最後の一言は、グラスを見つめた要に対しての言葉だ。
「そんな。」
 要が抗議の声をあげた。
 月村が憲実に向かって、自分のグラスを上げたので、憲実も注がれたグラスを持ち上げた。
 一口飲み込むと、確かに癖の無い飲みやすい酒だが、喉を焼く熱さがある。
 これはこれで、旨い酒だ。
 そんな憲実の感想は顔に出ていたのだろう。
「気に入ったようですね。」
 月村は微笑んだ。
 珍しい。
 要に向けてならともかく、他の人間に対しての月村の笑みは、どこか綺麗な人形めいて、現実味に欠けていた。
 少なくとも、憲実の知っている、今までの月村は。
「先生、ずるいです。僕には勧めて下さらなかったのに。なんで憲実さんだけ。」
 要が不機嫌そうに月村を見つめる。
「土田君ならこの酒も味わえると思ったので。」
 穏やかに月村が返す。
「僕じゃ無理だとおっしゃるのですか?」
「今はまだ無理でしょうね、要君には。」
 なんだか嫌な予感がする。
 こう見えて、最近の要は負けず嫌いなのだ。
「そんなことありません。」
 案の定、要は憲実が一口つけたグラスを奪い取り、自分の喉に流し込んだ。
「ん。かはっ。」
 とたんに咳き込む要。
 無理も無い。
「大丈夫かい、メートヒェン。」
 これまたタイミング悪く金子がからかうものだから、要は涙目で金子を睨み付けた。
「大丈夫です。」
 要は月村側のウォッカの瓶に手が届かないと見るや、手近にあったワインの瓶の残りを全てグラスに注ぎ、一気に飲み干した。
「おお。」
 金子が緩慢な拍手を送る。

 ただでさえ紅かった要の頬が、さらに紅くなる。
「だいたい。なんで憲実さんも先生も酔わないんですか?
 それに、さっきから二人いい雰囲気で。」
 怒っている、のだろうか?
 憲実を指差す要の目の焦点が合ってないので判断し辛い。
「俺はそういう体質らしい。」
「私は、そのような体質らしいです。」
 ほぼ同時に憲実と月村が同じような言葉を発したからか、さらに要は声を高くする。
「だから。どうしてさっきからお二人はそんなに仲がいいんですかっ!」
 仲良くなったつもりは無いのだが。要の目にはそう見えているらしい。
 隣で月村がくすりと笑う気配がした。
「要君が土田君を好ましいと思っているからですよ。」
 その言葉に、思わず憲実は月村に振り向く。
「要君は私の五感。要君が綺麗だと思う木々を私は綺麗だと思い、要君が美味しいと思う食事を私は美味しいと感じる。
 要君が好ましいと思う人を私も好ましく思うのは、当たり前ですよ。」
 月村は隠し事はするが嘘はつかない。そう聞いたことがある。
 要が月村の世界の中心にいることも、見ていれば判る。しかし、この発言は・・・。
「じゃぁ、先生は、僕が憲実さんにキッスしたくなったら、なるっていうんですか?」
 拗ねたような、怒ったような声に、憲実は今度は要に振り返る。
 月村は憲実の右に、要は憲実の左に座っているので、交互に二人を見やる憲実は少々忙しい。
 ちなみに金子は要のはす向かいで、事の成り行きを面白そうに静観している。
「そういうことになりますね。」
 言葉と同時に、冷たい指が憲実の右頬に当てられた。
 そして、冷たい何かが左の頬に。
 瓶に残る酒は多いが、それでもこれだけ強い酒をあれだけ消費しているはずなのに、何故月村の体温はこんなにも低いのだろう。
 左頬に当てられているのが唇だという事実より、その冷たさに憲実の思考が奪われる。

「あーーーーーー。ダメです先生。」
 慌てた声を出して、要が背中から憲実に覆い被さる形になっていた月村を押す。
 憲実は位置を要と入れ替える。素直に離れた月村と要は向かい合う。
「ダメです先生。 先生でもダメです。 嫌です先生。」
 要が月村の胸に倒れこむ。
 月村は子供をあやすように要の背中を叩いた。
「要君がそうおっしゃるのなら。」
 穏やかな声が掛けられる。このような表情が出来たのかと憲実が驚くくらい、慈愛に満ちた眼差しが要に注がれている。
 脅迫、誘拐未遂、死体遺棄。あれだけ恐ろしいことを無感情な目と声で行っていた男と、目の前のこの男は本当に同一人物なのだろうか?

 怒っているのか泣いているのか酔っているのか。小さく震えていた要の肩は、月村にあやされて、やがて静かに落ち着いた。
「寝てしまったようです。」
 月村が顔を上げた。
「レイフ、レイフ。起きているのでしょう? 手伝って下さい。」
 月村は卓を挟んで反対側、壁に寄りかかっている水川に声をかけた。
「あれ? なんで判ったの?」
 のっそりと水川が目をあけて、一度座り直して腕など伸ばしている。
「あれだけの騒ぎがありましたし、寝息が途中で変ったのも聞こえましたから。」
 月村の声を聞きながら水川は立ちあがり、今度は体全体を伸ばしている。
「要君は寝てしまったんだね。それじゃ撤収なのかな。」
「いえ。撤収するのは私達3人ですよ。」
「どういうことだ?」
 憲実は思わず聞き返してしまった。
「先ほど要君が言っていたでしょう。ご馳走を残すわけにいかないと。
 自分のせいで楽しい宴会が解散で、余った食事も捨てられた、となれば、要君は悲しむでしょうから。」
 だから、自分と金子に後始末を頼むというのか。
 憲実は眉を寄せた。
 残飯整理を命じられたようで、面白くない。
「まぁまぁ。ある意味、ここからは気兼ね無く楽しめる宴会ってことだよ。
 僕は従者よろしく、この二人の撤収を手伝うから、若い二人はごゆっくり。」
 まるで見合いの席の家族のようなことを言って、水川は片目を瞑ってみせた。
 そして、体の向きを変えた月村の足に靴を履かせてやったり、月村の上着から財布を出したりなどしている。
 月村は要の頭を胸に押し当てる格好のまま、要を抱きかかえる。
「ここの会計は済ませておきますので。ごゆっくり。」
 月村も水川と似たようなことを言って、微笑んだ。

 仕切られた、小さくは無い空間に、残されたのは憲実と金子の二人。
 月村達の言う理屈は納得できるが、今ひとつ承服しかねて憮然とする憲実の肩に、金子が手を置いた。
「仕方が無い状況に置かれたのなら、楽しんだほうがましだぞ。
 嘆いたり怒ったりするのは気力と体力の無駄遣いだ。
 ま、お前ならどちらもあり余っているんだろうがな。」
 金子の苦笑に、憲実もつられた。
 確かに、嘆いても怒っても状況は変わらない。
 憲実は肩の力を抜いた。



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