虚構の少年 −螺旋の関係−
金子先輩に会えないのは、とても辛い。
あずさは自分が日に日に落ち込んで行くのを感じていた。
偶然先輩を目に出来た日は、嬉しくて嬉しくて、自分でもおかしいくらいに浮かれてる。
けど、会えない日は辛い。
金子先輩が足りない。金子先輩に会いたい。金子先輩の側にいたい。
どうしてこんな気持ちになるのか。
怖いんだ。離れているのが。何か、良くないことがおこりそうで。
けど、迷惑だからと、付き纏うなと言われてまで一緒にはいられない。
先輩の言葉には逆らえない。逆らっちゃいけない。怖いことがおこるから。
・・・・・・・あれ?
あずさは頭を振る。
違う。違う。違う。
金子先輩は優しい。僕は金子先輩が好きだから、一緒にいたい。尊敬してるから、大事だから、その言葉に従うんだ。
優しい金子先輩に触れていたいんだ。
自分を守るためにあずさが作った虚構の少年。
それは、薔薇の木の下でおこったことを、何も知らない。
何も知らないから、何もおこらない。おこりようが無い。
知ってしまったあずさは、その少年の中にすっぽりと納まって、封印されている。
呪文がそれを護っている。
けれど、会えない時間が呪文を薄めてゆく。
要や月村を目にした時の、言いようの無い不安が、あずさを内側から震わせている。
「あれ?」
あずさは目を細めた。
なんとなく眠れなくて外に出た夜。
光伸が足早に庭を横切る姿が見えた。
「こんな時間に・・・先輩、何処に行くんだろう。」
付いて行ってはいけない。体の奥から声がする。
でも。
金子先輩のことが知りたい。一緒にいたい。もしかしたら付いて行けば、色々な秘密が判るかもしれない。
何よりも、今、あずさには金子光伸が足りない。
見た瞬間からもう、本当は駆け出していた。
街に出るのは判ってる。追いかけるんだ。
あずさは部屋に戻ってマントと学帽を掴んだ。
「何処まで行くんだろう・・・」
あずさは、奇跡的に光伸の圓タクの後を追うことが出来た。
長身の光伸は慣れた様子で足を進め、とある赤煉瓦建てのビルヂングの前で止まった。
何気なく回りを見回した後、地下への入口に呑み込まれて行く。
あずさがビルの影に隠れるようにして、階段下の様子をうかがうと、光伸は仮面の男と慣れた様子で話をした後、扉の中へと消えて行った。
あずさがその後、店らしき扉の前にいる仮面の男に話しかけてわかったことは、ここは会員制の倶楽部で、自分は絶対に中に入れてもらえはしないこと。
あずさは泣きそうになりながら階段を昇った。
けれど、諦めきれない。
さっきから、胸がドキドキしてる。
倒れそうなくらい不安なのは、金子先輩に会えていないからだ。
せっかく、ここまで来たのに。
あずさはひとつ頷いて、店の中に忍び込む決意を固めた。
迷路のような店内を恐る恐るあずさは歩いていた。
隠し部屋のような、壁にかかった布の影にある扉をひとつひとつ開けて、中を確かめる。
そして、見つけた。
あずさが入ってきたことに気付いて、半裸の女性が叫び声を上げて、慌てて身支度を整えてあずさの横を駆け抜けていった。
その、流行のドレスも、白い肌も、甘い香りもあずさの意識には昇らない。
見えているのは、長椅子に足をかけ、けだるそうに寝転んでいる光伸。そしてその、胡乱な目。
薄暗い部屋の赤い光の中、光伸の咥えている煙草の火は、さらに赤い。
立ち上る紫煙の流れ。部屋に満ちてゆく煙草と・・・何か甘い香り。
「金子せん・・・ぱい・・?」
目の前にいるのは、本当に金子先輩なのか。
そんな思いがあずさの胸をよぎる。
小刻みに震えるあずさを見て、光伸は軽く鼻で笑った。
「そう思いたく無いのなら、それでいい。帰れ。とっとと。」
光伸は顎で扉を示す。
あずさは、つられて振り向いた。
赤い光に照らされた重そうな扉。あれをくぐれば、無かったことになるんだろうか。
僕はここに来て無くて、何も見て無くて、先輩はこんな、意地悪じゃ無くて、優しくて。
その誘惑はあずさを大きく揺さぶった。
心臓の鼓動が速くなる。
頭が痛くなる。
不安で、立っていられなくなる。いつもと同じ、警告するみたいな頭痛。
その場に座り込んでしまったあずさを、光伸はしばらく無表情のまま眺めていた。
やがて、光伸は小さく息を吐いた。
「お優しいメートヒェンは、お前がこれ以上俺達に立ち入らず、思い出さないのならば、手を出さなくて良いって言ってたんだが・・・。
どうにもお前、関わらずにはいられないようだからな。」
光伸はあずさに近づいて、腕を掴んで体を持ち上げた。
引っ張るように長椅子につれて行き、乱暴にあずさをその上に倒す。
何か合図をしたのか、それとも先ほど頼んであったのか、仮面の男が赤い液体の満ちたグラスを部屋に運んでくる。
「え・・・あの・・・」
あずさはおずおずと長椅子に起きあがる。
光伸は長椅子の斜め向かいに置かれた小さな椅子に座って、あずさを見詰めていた。
「全部教えてやる。火浦が知りたいと思ってる俺のことも、火浦が忘れてる火浦のことも。」
光伸の目の光は、いままであずさが見たことも無いくらい冥く、声は聞いたことも無いくらい低かった。
「・・・」
あずさはこくりと頷いた。
「そうか。じゃぁまず、これを飲め。」
光伸に手渡されたのは、さきほど仮面の男が持ってきた、赤い液体の入ったグラス。
「なに? これ。」
あずさは胡散臭そうなグラスに眉をしかめる。
光伸は苦笑した。
「酒だ。多少なりとも常識の枠を緩めておかないと、キツイ話だからな。」
あずさは酒が好きでは無い。
けれど、光伸に目線で促されれば、飲まなければ話が進まないということもわかる。
あずさは目を瞑って、一気にその赤い液体を喉に流し込んだ。
喉が熱いが、喉越しは甘い。
意外にも美味しくて、あずさは瞬きを繰り返す。
「美味しい・・・」
「落ち着いたか?」
光伸のかけた優しい声に、あずさは頷いた。自分を落ち着かせるために、わざわざ飲み物、しかもあずさの口に合うものを頼んでくれた先輩は、やっぱり優しいと思いながら。
「まず、俺だが。」
光伸は椅子を引いて、あずさに近づいた。
膝のぶつかる距離。あずさが長椅子の奥に逃げれば膝は離れるが、あずさはそうしなかった。
「見ての通り、倶楽部で酒を飲んで煙草を吸って、女と遊んでいるのが本当の俺だ。
学校の優等生は、演じてるだけ。」
光伸は思いきり意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「嘘・・・」
あずさは二の句が継げない。
あんなに、先生方からも同級生からも下級生からも、近所からも・・・とにかく回り中に評判が良くて、成績優秀な良家の子息、金子光伸先輩が、虚像?
信じられない。
でも、自分の前で、シャツのボタンを3つまで開けて、首筋に赤い紅など残し、落ちた前髪を煩そうにかきあげて、皮肉気な笑みを浮かべてるのは、間違い無く金子光伸先輩。
「嘘じゃ無い。こっちが本当の俺だ。
綺麗所なら、誰でも寝る。さっきの女だって、名前も知らない。」
くすくすと光伸が笑う。
その容貌は確かに綺麗なのだが、どこか怖い。
どこかで見たような気がする。こんな先輩を。
どこで? と、思いだそうとすると頭が痛む。思い出してはいけないみたいに。
「金子先輩がそんな人だったなんて・・・」
あずさはようやく声を絞り出す。
うつむいて、打ちひしがれた様子のあずさに、光伸は話を続ける。
「そう。だから俺と君が薔薇の木の下での彼の情事を見た時、俺は黙っていようと君に提案した。」
彼? 誰? というより、薔薇の木の下での情事? そんなもの、僕は見てない。
あずさはきょとんと、目を見開いて光伸を見返す。
「覚えていないのか?」
あずさは素直に頷く。
「彼は薔薇の木の下、犯されていた。
両手は縛られ、目隠しをされて、薔薇の木に押付けられて血にまみれていた。
それでも多大な快感が彼の体を巡っていて、彼は好い声で鳴いていた。」
何かがあずさの体の中で動いた。
さっきから心臓は速く動きっぱなしで、血液が大急ぎで体中を巡っていて、熱い。
でも、なんだかそれだけじゃ無い。
もっと、何か・・・変なものが沸き上がってくる。
我知らず、あずさは唾を呑み込んだ。
「犯されてる彼−小使いの日向要を見て、君は不潔だと言ったね。
あんな陰間、この学校にいられなくしてやると。
俺は君を口止めした。 その代償が、勉強を教える約束だ。
でも火浦。君はあの時、本当は羨ましかったんだろ?
無理やり犯されて、それでも声をあげてる要に。」
光伸が笑う。
あずさは勢いよく頭を横に振る。
あんまり振りすぎて、くらくらとした。
同時に、また、さっきの感覚。
熱くて、奇妙な、知ってるようで、知らない、変な感覚が昇ってくる。
「まだ思い出さないのか?」
呆れたような光伸の物言いに、あずさは、ただ頷く。
「じゃぁ続けるか。
君はしばらく大人しくしてたが、要を犯した犯人から送られてきた写真をネタに、要を脅迫したんだ。
俺との約束を反故にしてな。」
まったく、いい性格をしてると、光伸は笑った。
「し・・・知らない・・・そんなこと・・・嘘だ。」
あずさの体が震え出す。
そんなことは知らない。そんなことは見てない。そんなことはしていない。そんなことは・・・されていない。
されていない? 何を? まだ、先輩は何も言って無いのに。
喉が乾く。とても。
あずさは何度も唾を呑み込んだ。
それでもすぐ乾いてしまう喉から出る言葉は、掠れて途切れる。
「しら・・な・い。」
固く目を瞑って、耳に手をあてた。
聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない!
小さく長椅子が沈んだ。
すぐ近くに、人の気配。
あずさの体の横に片手をついて、光伸はあずさに覆い被さるようにした。
もう片方の手で、優しくあずさの手を払い、あずさの耳元に、囁くように言葉をかける。
「要と、月村の逆鱗に触れてしまった君は、お仕置きをされた。
誰もいない教室、教卓の後ろで縛られてた君は、中々な見物だったな。」
「!!!」
一瞬だけ、あずさの脳裏に竹刀を持った要が浮かぶ。
そして、泣き叫んでいる自分が。
しかし、それはすぐに消える。
「嘘・だ・・・。ちが・・・」
あずさの目から涙が零れていた。
「要が君の相手をするのは御免だと言ったので、俺に御鉢が回ってきた。
覚えていないか? 俺がこんな風に、君の体に触ったこと。」
光伸は右手であずさの胸の突起をつまむ。
瞬間、あずさの体に電流のような何かが走る。
「あ・・・!」
あずさの口から、思わず声が漏れる。
触れられた場所が、痺れてる。それだけじゃなくて、別の場所も。
あずさの顔に血が昇った。今走ったものが何だったのか、さっきから体に巡っていたのは何だったのか、唐突に気付いてしまったから。
光伸がゆっくりと唇を重ねてくる。
どこか、甘い。
そう感じた瞬間の隙間を狙って、光伸の舌があずさに入ってくる。
「ん・・・!!」
逃れようにも、何時の間にかあずさは長椅子に押し倒される形になっていて、身動きが取れない。
体が密着してるせいで、知られたくない変化を知られてしまう。
「んん・・・・・・ん。」
抵抗を塞いで絡めとられる舌。
光伸の触れた場所すべてが熱くて、あずさの体温がまた上がる。
勃ち上がる。これくらいの刺激で。
ズボンの中ではちきれそうになっているのが、痛い。
できればもっと、広い空間へ。
・・・違う。嫌だ。ダメだ。こんなことくらいで。変だ、変だよ。
心と裏腹な体。体と裏腹な心。
優しいけど激しいキッス。
乱暴なほど強く施される愛撫。
知ってる。知らない。知ってる。知らない。
光伸は唇をはずし、あずさの顔を観察するかのように見詰める。
目線はあずさの顔に合わせたまま、光伸の手が、あずさの下肢に伸び、服の上から形をなぞる。
「・・・・・・・・ああっ!」
あずさの口からほとんど悲鳴な叫びがあがる。
意識が白く弾ける。
内側で、何かが、砕ける音がする。
熱い固まりが体の中から沸き上がってきて・・・服を濡らす。
とめどなく、涙が流れ落ちる。
「思い・・・出した・・・」
虚構の少年は弾けて消え去った。
残っているのは、火浦あずさ。
要を脅迫しようとし、その報復に犯されて写真を撮られた、自分。
痛くて辛くて、閉じてしまったはずなのに。
どうして、思い出してしまったんだろう。
どうして、思い出そうとしてしまったんだろう。
「ああああああーーーーーーーーーーーーー」
あずさの悲痛な叫びは、壁にかかる厚い布に吸い込まれ、外に届くことは無い。
すでに要に捕われている、光伸にも。
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