螺旋の関係<2>


 瓢箪から駒というか、嘘からでた真というか。
 5月9日放課後、一度生物教授室に集まってから、皆で街へ繰り出した。
 月村の勧めだという店は、安い居酒屋風でも無ければ、高級秘密倶楽部のようでも無い、その中間の落ち着いた佇まいの店だった。
 ほどよく街の中心から外れた場所にあるその店の中は、座敷は別れているが個室というほどでも無く、小人数の宴会にはまさに丁度良い案配だった。

 正方形に近い卓の周りに二人ずつ並んで腰掛ける形になる。
 月村と要、水川と金子、木下と火浦、という具合だ。
 誕生日だということで、憲実は一人、上座に座らされて居心地が悪い。

 先に連絡をしておいたのだろうか。
 憲実達が卓につくと同時に、料理やつまみや酒が続々と運び込まれる。
 舟盛りの刺身は新鮮そうな輝きを放っている。
 鳥、豚、葱、その他各種取り揃えた串物がある。
 春巻きやらコロッケやらの洋風な揚げ物も、海老や蓮根などの天麩羅もある。
 どれもこれもご馳走だ。寮の質素な食事を見慣れた目にはなおさら。 
 酒も、一升瓶の日本酒から洋酒の瓶から、色々と持ち込まれる。
 店員が一人一人に飲む酒の種類を聞き、グラスに注いでまわる。
 すぐに酒宴の準備が整った。

「それでは。」
 こほんと咳払いをひとつして、要がグラスを持った。
 中に入っているのはワインらしい。赤い液体が揺れている。
「土田憲実さんのお誕生日を祝しまして、乾杯!」
 グラスを高く掲げる。
「乾杯!」
「乾杯!」
「おめでとうございます土田先輩!」
 銘々に一言放ち、グラスやお猪口をあげる。
 憲実も黙って升を持ちあげる。せっかくなので日本酒だ。
 皆の視線が、妙にこそばゆい。
「・・・ありがとう。」
 今度はちゃんと礼が言えた。
 要がにっこりと笑う。
「じゃぁ、食べましょう。 憲実さん、気兼ねしないで沢山食べて飲んで下さいね。」
 おそらく今回の出資者であろう月村をちらりと見ると、彼は微笑を浮かべながら頷いた。
 要が楽しそうなのだから、いいのかもしれない。
 憲実は酒をあおった後、一度両手を合わせ、そして箸を握った。


 場は、予想以上に盛りあがった。
 水川や金子が面白い話題を提供し、火浦や要は茶々を入れながら楽しそうに話しに乗る。
 悪乗りには木下が冷静に対処するが、それも以前の冷たいだけの対応では無く、根底には優しさが流れているような対処の仕方だ。
 あの事件は色々な物を壊し、変えてしまったけれど、こうして楽しく酒を酌み交わすことが出来るのだから、悪いことばかりでも無いのだろう。多分。
 何より、要が笑うようになった。
 以前の、邪気の無い笑みだけではなく、時々はっとするほど凄絶な、冷たそうな笑いを浮かべることもあるけれど、要の心が強くなって、穏やかになったのならば、それでいい。
 今も、水川の話を受けて、要は楽しそうに笑っている。
 そして、その要を見て目を和ませているのは、自分と月村。
 強いてまで会話に参加をしようとはしないけれど、楽しんでいる雰囲気は伝わる。また、伝わっているはず。

 和んだ雰囲気に、皆、料理や酒が進む。
 火浦や要などは、すでに顔が赤い。
 しかし、一番先に酔いが回ったのは、どうやら水川のようだった。

「土田君、飲んでる?」
 水川が徳利を片手に憲実の隣に座る。
「ああ。」
 酒宴が始まってから、憲実の持つ升に酒が途切れたことは無い。
 誰も彼も注ごうとするし、憲実自身は、いくら飲んでも酔わないザルときている。
 面白がって要はワインを升に注いだりもしたが、多少ちゃんぽんで飲んだとしても、身にこたえることは無い。
「なんだかつまらないなぁ。なんで君、酔わないの?」
 水川は見た目に、それほど赤くなっているわけではない。
 けれど、どうやらこれは、相当酔っているようだ。
「別に・・・そういう体質なだけだ。」
 これは正直にそう答えるしかない。
「若いっていいよね・・・。僕も若い頃は、もうちょっと強かったはずなんだけどな。」
 これはいわゆる、絡み酒というやつなのだろうか。
 水川は憲実の顔をぺたぺたと触っている。
「そうだ。凄く酔う飲み方を教えてあげるよ。」
 にこにこと水川は微笑んで、その辺にある各種の酒をグラスに注いで混ぜた。
 どう考えても不味そうだ。
 そしてそれを、自分の口に含む。
 嫌な予感に身を引こうとしたが、水川の手が憲実の顎を掴む方が早かった。
「んー。」
 口の中に流し込まれる、人肌に温まったちゃんぽんの酒。
 不味い。はっきり言って不味い。
 水川の体を突き放そうとすると、周りから手が伸びて憲実の体を押さえる。
 横目で見ると、金子と要だ。木下と火浦は二人で何か話している。
 押さえる二人は面白がっているようにしか見えない。少々むかっ腹も立つが、とりあえず今は口の中をなんとかしないとなるまい。

 なんとか飲みこむと、ようやく水川の唇が離れた。
「貴様、何を。」
「ふふ。効くでしょ? 人肌ちゃんぽん。少しは酔ったかい? 顔が赤いよ?」
 憲実の顔が赤いのは、酒よりも、今の行動に対してなのだが。
 実は怒りと羞恥で赤いなどということは気にならないようで、水川は満足げな笑みを浮かべた。
「そうそう、せっかくの誕生日なんだから、楽しまなく・・・ちゃ・・・。」
 語尾が細く小さくなる。
 唐突に、水川の体がかしげる。
「おい?」
 聞こえてくるのは寝息。
「寝ちゃってますね。水川先生。」
 要が水川の体を壁にもたれかけさせる。
「・・・・・・・・」
 憮然として憲実は黙り込む。
 はた迷惑な酔い方だ。
「面白いもの見ちゃいました。水川先生、明日、このこと覚えてるんでしょうかね?」
 くすくすと要が笑う。
 あんな場面を見ても、止めもせずに楽しんでる要を、ほんの少し残念に思う。
 自分は要の物であって、水川の物では無いのに。
 それとも、水川も要の物だから、要にとっては飼い犬同士がじゃれているようにしか見えていないのだろうか?

 未だ憮然としている憲実に、金子が酌をする。
「まぁあれだ。そこの作家も言っている。楽しめ。」
 こちらも、まったく悪びれない。
 なんだか、小さいことを気にする自分が馬鹿者のようだ。
「ああ。」
 憲実は、一気に酒を呷った。



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