螺旋の関係<3>


 しばらくして、火浦と木下が申し合わせた風にやってきた。
 木下は憲実の左側。火浦は憲実の右側、憲実と金子の間に座る。
「土田先輩、どうぞ。」
 そう言って木下が憲実の升に酒を注ぐ。これはちゃんと日本酒だ。
「金子先輩〜、飲んで下さい。」
 こちらは火浦。
 憲実は注がれた酒を一口飲み、木下に返杯しようとした。
「あ。いいですよ。僕、自分で注ぎますから。」
 しかし、木下は憲実の手を止めて、自分でウイスキーをグラスに注ぎ、番茶で割っている。
 一見酒に見えた液体は、こうして作り方を見ていると、ほとんどが茶だ。
 不思議そうな目をした憲実に、木下は軽く笑う。
「大丈夫ですよ。お酒が無くても、ちゃんと楽しんでます。
 別に僕、お酒に弱い方でも無いんですけどね。
 今日はほら、酔って分別を無くした姿を見られたくない人達がいるから。」
 木下は視線だけを巡らせる。
 確かに、一連の事件は終わったとは言え、中々ここにいる面子は意地が悪い。
 酔った姿を写真に収めようなどとはしないだろうが、下手に醜態をさらして弱みを握られるのも避けたい。
 今更という感もあるが。

 納得がいった憲実は、升を目の高さまで持ち上げた。
 木下がそれに自分のグラスを合わせる。
「おめでとうございます、土田先輩。」
「ああ。」
 二人して杯を空けて、また木下が憲実に酌をする。
「強いですね、先輩。僕も先輩ほど強ければ、下手に小細工することも無いんですけど。」
 感心した風な木下は、また、ほとんどが番茶で占められたグラスを作っていた。
 今度は二人して料理をつまみつつ、静かに語りながら、少量づつ飲む。
「へぇ。これ美味しい。どうやって作るんだろう。」
「木下は料理を作るのか?」
「いずれ一人暮ししたいから、色々覚えようと思って。」
 あずさに付き従い、暗い瞳で下を向いていた頃の木下はもういない。
 しっかりと前を向いて、自分なりの未来を築いていこうとしている。
 その成長振りには目を見張ることがある。
 性根を叩き直すと、身柄を引きうけた自分が言うのもなんだが、これほど変るとは思わなかった。
 きっと、木下の芯は、柳のようで、たわみはするがしなやかで強いのだろう。
「木下が作る料理は上手そうだな。」
 剣道の飲みこみも早かった。なんだかんだで器用な木下なら、きっと料理も上手く作るだろう。
「ふふ。土田先輩、味見してくれますか?」
「ああ。」
 木下が微笑み、憲実が頷く。
 この場に相応しく無いほど、柔らかい空気が二人を包んだその時。

「あーもうっ! どうして僕のお酌したお酒飲んでくれないのさっ!」
 怒ったような火浦の声に、木下と憲実は顔をそちらへ向けた。
 悠々と構えて串などつまんでいる金子と、怒りでなのか酔ってなのか、顔を赤くした火浦。
「別に飲んでいないわけじゃ無いだろう。俺のペースで空けてるだけなんだが?」
 金子のグラスの液体は、さほど減っていない。
 頭の回転の速い金子のことだ。おそらく木下と同じ理由で、この場は酒を控えることにしているに違いない。
「でも、せっかく僕がお酌したんだから、飲んでくれたっていいじゃないか。」
「誰の酌でも同じだが。」
「嘘だ。僕が注いだから飲んでくれないんだ。」
 だんだんと、火浦が泣きそうな表情に変ってゆく。
 どうやらというか、間違い無く、火浦は酔っている。
「違うと言ってるだろうに。」
 そう言いつつ、杯を空けない金子も意地が悪い。
 見かねて憲実は火浦に自分の升を押し付けた。
「?」
 火浦がきょとんとした顔で、大きな瞳を憲実に向ける。
「火浦、注いでくれないか?」
 憲実の言葉を受けて、面白いほど急激に、火浦の表情が明るく変る。
「はいっ!」
 火浦の注いだ酒を、憲実は一気にあおって空にする。
 そして、また火浦に升を差し出す。
「土田先輩、いい飲みっぷりですね!」
 火浦はにこにこと嬉しそうに笑いながら憲実の升に一升瓶を傾ける。
 火浦の奥にいる金子は、苦笑しながら肩をすくめた。

「いいなー。土田先輩って。僕、金子先輩から乗り換えようかな。」
 酔った火浦が憲実にするりと身を寄せる。
 気まぐれなその様が、猫によく似ている。
「ああ。そうしろ。土田ならお前の勉強も、俺より熱心に見てくれるぞ。」
 金子の声はそっけない。
「いーーーーーーーーだ。」
 火浦が金子に向かって口をゆがませる。
 金子は面白そうに口の端に笑みを浮かべている。
 傍から見れば痴話喧嘩なのだが。
「土田先ぱいなら金子先ぱぁいみたく冷たいことゆわないもんね。」
 だんだんと、言葉遣いも怪しくなってゆく火浦。
 見れば、火浦は酒を自分で注いで自分で飲んでいる。
「あずさ、そろそろ止めたほうがいいよ。」
 木下の制止の声は、逆に火浦を煽ったようだった。
「いいよね真弓は。土田先ぷぁい優しいしね。」
 火浦が憲実の首に手を回す。ぶら下がるように抱き付いてくる。
 ほとんど重さを感じないのは、憲実が鍛えているからだけでなく、あずさが軽いからだろう。
「乗り換えよっかな・・・ほんとに・・・」
 暖かいものが憲実の首筋に当てられた。
 と思った瞬間に強く吸われた。
「ちょ、あずさっ!」
 慌てた木下が憲実の左側からあずさの手を外す。
 憲実も慌てて火浦を引き剥がした。

 金子は驚いたように目を見開いて、それから笑い出した。
「はははっ。土田、その跡は中々消えないぞ?
 明日の言い訳を考えておくんだな。」
 何のことを言われているのかわからない。
「憲実さん・・・こっからでも見えますよ、首筋の跡。」
 今は卓を挟んで正面に座っている要からの声に、やっと言われている事に思い当たる。
 学生服の詰襟で隠せない位置に残された、情事の跡。
 今日、金子と飲みに出かけていると信じている級友達は、これを見て何を思うのか。
「火浦っ」
 思わず荒げてしまった声に、火浦はびくりと怯えて身を縮ませる。
「あ。あの・・・ごめんな・・・」
 涙声になっている。
 しまった。泣かせるつもりでは無かったのだが。
「いや・・・別にその・・・・すまなかった。」
 なんと言っていいのか憲実には判らない。
「ほらあずさ、酔いすぎなんだよ。今日はもう帰ろう。ね?」
 木下があずさに近づき、腕をひっぱりあげた。

「済みませんけど、僕らはこれで失礼します。」
 すっかり意気消沈している火浦をなだめながら立ちあがらせる。
「残念ですけど・・・ええ。またの機会に。」
 要が微笑んで、立ちあがって木下に近づき、手に金を渡す。
「気をつけて帰って下さいね。」
「はい。」
 木下はしっかりした足取りでこあがりから降りる。
 火浦がのろのろと靴を履いている間、木下はふと気づいたように一度憲実の傍に来た。
「ひとつ貸しですよ、土田先輩。」
 憲実の耳元に木下はそう呟いて、目を見張る憲実に綺麗に微笑んで、そして火浦の元へ戻って靴を履く手伝いをしてやっている。
 なにがどう貸しで、どう返せというのか。
 憲実が聞き返すための言葉を捜している間、火浦と木下は店の外へ出ていってしまった。



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